
動画チャンネルなどでグリッドに関する情報を発信していると、
「虐待だ」「ひどいことをする」「自然に反している」
といったコメントが寄せられることがあります。
そういったコメントを見ると、本当にそうなのか深く考えさせられます。
植物には感情がある、知性があるという話はよく耳にします。
今回はそんな植物管理×倫理について考えてみたいと思います。


まず有名な事例としてバクスター効果があります。
クリーヴ・バクスターという研究者が植物にポリグラフ(嘘発見器)を接続し、植物を燃やそうとした瞬間、まるで思考しているかのような反応が記録されたと報告されています。
この話は話題性もあり世界中に広まりましたが、
「動物や人間とはまったく異なる組織を持つ植物が、心や感情を持ち精神的な脅威を感じるとは認めがたい」という反論も多く出ました。
またテレビ番組で同じ実験を再現したところ、まったく反応が見られなかったという報告もあります。
では、植物に感情はないのか??
と結論づけるのはまだ早いかもしれません。

アフリカのサバンナに生息するアカシアは、は、キリンが葉を食べ始めると、苦い毒素を葉に送り込んで身を守ろうとするといわれています。しかもこの現象は数分以内に起こります。
葉が苦くなったキリンは別のアカシアへ移動しますが、アカシアはエチレンガスを放出し、周囲の仲間に危険を知らせるそうです。
また、身近な樹木であるニレと松は、葉を昆虫にかじられると電気信号を根に向けて送ります。
その信号を受けると葉に苦い化学物質を送り込んで身を守ろうとするそうです。
さらに!樹木は唾液から攻撃者を特定しするそうです。
犯人を識別したうえで、特定のフェロモンを放出して、その攻撃者の天敵を引き寄せるとのことです。
参考:科学情報メディア
驚きつつも、
これって植物の防衛的な反応とも解釈できますし、種を存続させるための進化によるものだという見方もできます。
あくまで例として挙げましたが、知性や感情の有無については様々な意見があると思います。

仮に植物に感情があるとして、盆栽のように木を強く曲げる行為は虐待だ!というのが今回のコラムの主旨です。
確かに幹を大きく曲げる姿に痛々しさを感じることもあります。取り木も人間に置き換えれば相当な処置です。管理ミスで枯らしてしまった場合は、木が気の毒に思えることもあります。
ただ前提として、盆栽は木をより良くするためにさまざまな手法を駆使します。何百年もの歴史の中で木の知識を積み重ね、愛情をもって丁寧に管理してきたのが盆栽の文化でもあります。
「木をより良くする」というのはあくまで人間の感覚であり、植物にとって良いとは限らないという反論もあるかと思います。
個人的な見解としては、(ここから持論になります)
それで構わないと考えています。人間の視点から良くしようとすることで十分です。
地球上で大きな影響力を持つ人間が価値を見出さなければ、淘汰されてしまうからです。
盆栽に価値がなければ大切に保護されることもなく、そもそもその木は存在していなかったかもしれません。
良い木を育てたいという思いで種を蒔き、挿し木や取り木で木を増やしている、命を育んでいるのが盆栽です。
私たち人類は木を燃やして暖をとり、森を切り開いて土地を広げ、家を建ててきました。森が失われるたびに多くの生き物が姿を消していきます。
普段口にしているものが、どのような過程を経て食卓に届くか考えてみてください。
人間は誰もが多かれ少なかれ他の生命に影響を与えています。人間以外の生き物すべてに、何らかの形で負荷をかけているとも言えます。
そんな中でも他の生き物を増やし、愛情をもって向き合う盆栽はその中では比較的配慮ある行為です。
感情ある生き物さえ顧みないこともある人類にとって、植物に感情があるかどうかは本質的な問題ではないかもしれません。
だからこそ、配慮しながら感謝の気持ちをもって生きていけばよいのではないでしょうか。
(あまり過激な考えと思われても困るので、この辺で持論はひとまず置いておきます)

そもそもこの記事を書き始めたきっかけは、Lumina Grid Solutionsのオリジナルグッズの購入者からこんなコメントをいただいたからです。
盆栽を虐待と決めつけるのは、間違えていると思います。 服だったり、食べ物だったりは全て命から出来ています。 衣食住は必要だから仕方ないという意見もありますが、その意見は人間に都合が良い話で、 加工される植物や食べられる動物からすると、知ったこっちゃない話です。 それを差し置いて自分の主観で語る人が、盆栽の気持ちを想像で語る事自体がおかしいです。 全ての生物が生きる上で他の生物を犠牲にするのは当たり前の事で、許す許されないの話ではなく、それが自然なのだと思います。 人間が大きな脳を持って誕生した以上、植物を使ってアート表現したりするのも含めて普通であり自然な事なんだと思います。 意思疎通が叶わない動物や植物のことを自分の想像で語るのは全然良いと思いますが、 あくまで勝手な想像だという前提を忘れて人を責めるのは無茶な話だと思います。 そんな感じで、Tシャツ届いたらクラブとかに着ていきます! つっこまれそうで楽しみです笑
なるほど、同じ気持ちだなと思い、書かせていただきました。
他者を否定することは簡単で、自分の優位性を感じられる快楽に近い行為という側面があると思います。
自分自身もそういった行動をしないよう気をつけたいと思います。(難しいことですが)
ということで、これまでと変わらず誠実にグリッドと向き合い、うまくいかなかった時は自分の知識や管理の不足を振り返りながら、「取り組むことでシステムが応えてくれる」という主体的な喜びをもってLumina Grid Solutionsを楽しんでいきたいと思います。と思います。
木に感情があるかどうかは正確にはわかりませんが、盆栽愛好家や盆栽士の方々は感情があるように接することが多いです。
意見をもらうたびに考え、今できる最善を尽くせばよいと思います。
目に見えるものが真実とは限らない。何が本当で、何が違うのか。
植物に感情はあるのか。
盆栽がなければ、名木は今も別の形で生きていたのか。
他者の意見を変えようとすることは、自分の考えを押しつける行為なのか。
私たちは盆栽の未来を変えることができるのか。
答えのない問いの世界へようこそ。

疑問を並べると、いつもこういう結末になってしまいます。